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Deeper & Deeper

深く、深く。

津興橋 ~伊勢電の記憶を探して~

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津市を流れる二級河川・岩田川の河口付近に、一本の古い橋が架かっています。

地図では表示されていませんが、名前は「津興橋つおきばし」。昭和初期に架けられた橋です。

この津興橋、平成31年(新元号が始まる年)に撤去されることが決まっています。

津市 - もっと住みやすい津市へ! 道路や踏切を広げます。橋を架け替えます。

そんなわけで、撤去される前に写真を撮っておこうと思い早速行ってきました。



こちらが「津興橋」です。

一見ごく普通の車道に見えますが、この橋ちょっと変わっています。



雰囲気でだいたい分かると思いますが、これは一般的に鉄道橋にある「プレートガーダ」と呼ばれるものです。

なぜ車道なのに鉄道構造なのか? 幼いころから不思議に思っていた疑問について調べてみました。


伊勢電気鉄道

津の整備計画のPDFを見てみると、「昭和5年 伊勢電気鉄道の鉄道橋として築造」とあります。

伊勢電気鉄道? 聞いたことがない名前です。


今は車が行きかうこの橋もかつては鉄道が通っていたと思うと面白い

それになぜ、鉄道橋が道路になっているのでしょう。謎は深まるばかりです。

謎を紐解くために、伊勢電気鉄道の歴史をたどってみましょう。


伊勢電の歴史

伊勢電気鉄道、通称「伊勢電」の前身となる「伊勢鉄道」は明治44年に生まれました。
 当時この地域を走る鉄道は関西本線参宮線(現在のJR)のみで、津を含め沿岸部には路線がありませんでした。そこで津と四日市を結ぼうとして生まれたのが伊勢鉄道でした。

初めに路線が走ったのは白子から一身田です。簡単な年表を作ってみました。

大正4年 9月10日 白子~一身田 開業
大正5年 1月8日 白子~千代崎 開業
大正6年 1月1日 一身田~津(部田) 開業
大正6年 12月22日 白子~楠 開業
大正8年 10月22日 楠~海山道 開業
大正11年 3月1日 海山道~新四日市 開業
大正13年 4月3日 部田~津新地 開業
大正14年 12月25日 神戸支線(若松~神戸) 開業

大正年間に津~四日市を結ぶという目的は達成されました。そして、翌大正15年に大きな転換を迎えます。今までは軽便鉄道(汽車)だったものが電車に変わったのです。

大正15年 12月 電化完成
昭和2年 1月30日 四日市~桑名 開業
昭和5年 4月1日 津新地~新松阪 開業
昭和6年 12月25日 新松阪~大神宮前 開業

こうして桑名~大神宮前(伊勢の外宮近く)を結ぶ鉄道が完成しました。戦前にこんな電車が走っていたなんて驚きです。
 津新地~松阪を繋ぐ中で岩田川に架けられた橋が「岩田川鉄橋」(現在の津興橋)だったのです。


昭和5年4月1日の伊勢新聞。開業のニュースが大きく掲載されています。右下の写真は岩田川鉄橋ですね!


昭和6年1月15日発行『津市付近平面図』(大田書店) 中央が岩田川鉄橋
今はない駅跡や舟渡が興味深いです。


しかしここで再び大きな転換点が訪れます。昭和2年の世界恐慌の影響を受け、経営が行き詰ったのです。

伊勢電気鉄道は結局、昭和11年にライバル会社であった「参宮急行電鉄」に吸収され、歴史からその名を消しました。

それからの流れを見てみましょう

昭和16年 3月15日 大阪電気軌道が参宮急行電鉄を吸収
昭和19年 6月1日 関西急行鉄道南海鉄道が合併し近畿日本鉄道となる

なんと伊勢電は近鉄の源流の一つだったのです! 現在の名古屋~江戸橋間の路線は伊勢電時代とほとんど同じになっています。

現在、津興橋を通る道路が通称「近鉄道路」と呼ばれているのもこのためだったのですね。


その後の津興橋

では近鉄爆誕とともに岩田川鉄橋も使われなくなったかというとそんなことはありません。江戸橋~松阪を繋ぐ路線は「伊勢線」として残っていました。*1
 しかし戦後になると自動車の普及などで次第に採算が取れなくなり、ついに昭和36年に伊勢線は廃止となってしまいました


昭和36年1月22日の伊勢新聞

新松阪發のお別れ最終電車には三人が乗った

とあります。最後の頃は江戸橋~新松阪間で一人の駅長がやりくりしていたようです。

また、前日の新聞にはこのような広告が。

当社では、あす1月22日から、伊勢線(江戸橋・新松阪間)の鉄道運輸事業を廃止し、これにかえて一般乗合自動車営業をいたしますからご了承ねがいます。

つまり、伊勢線が廃止され代わりにバスを運行するために舗装されたというのが津興橋の経緯なのです。

やがてバス運行も無くなり現在のような一般市道になったのですね。


古地図や道路の形から想像した津市街地の路線


伊勢線をしのんで 津興橋写真集

津駅前の三重交通バス駐車場です。数年前までここに部田駅(伊勢電津駅)のホーム基礎跡があったらしいのですが、現在は跡形もありません。

次第に消えてゆく伊勢電の記憶の中で、最後までその痕跡を色濃く残していた岩田川鉄橋もあと数年で無くなってしまいます。

かつてこの場所に、人々を乗せて伊勢へと走った電車があったことを記録するために写真を載せておきたいと思います。



87年の歴史を感じさせるプレートガーダ。


花火大会の折には歩行者天国になり、このガーダの上は早い者勝ちの特等席になる。そんな光景が見られるのも今年か来年が最後か。


隣の水道橋が思いっきり水漏れしてるのが気になる……


ガーダには所々切れ目が。単純桁と言うらしい。


古びた橋脚。耐震対策が不十分ということらしい。

海に近いので塩水や風の影響も大きそう。


橋の下の落書きも消されずに残っていた。ご丁寧に「1995」と書かれている。


橋の横では何らかの調査?が行われていた。西側に新しい橋ができるのだろうか?


こういう細かいところもしっかり見ておく。このボルトはガードのものなので後付けだろうけれど。


橋の下からむき出しの鉄板が見られるところがあった。


参考文献



はじめは写真だけのつもりだったのに、だいぶん長くなってしまいました。

*1:松阪~伊勢間は参急の山田線と競合していたため昭和17年廃止

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