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Deeper & Deeper

深く、深く。

すわたび! ~上社本宮参拝編1~

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前回も上社に立ち寄りましたが、時間がなかったので改めて参拝しました。


本宮は摂末社や遺構が多いので整理するために境内図を作りました。

http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ot0rip604/20170221/20170221182239_original.jpg?1487669316



徒歩だと長く思えた藤島社から本宮までの道も自転車ならばすぐですね。

上社本宮はこんな神社です


北参道には大きな明神鳥居。

本宮はその名の通り諏訪大社の中心となっている神社です。祀られているのはもちろん建御名方神

前宮がどこか縄文的な様子だったのに対して、こちらはがっちりとした神社の造りです。

それでも、黒木で造られた神殿は神明系の神社を見慣れていると新鮮に見えますが。

※かつては極彩色だったようですが、天正十年(1582)に信長に焼かれて消失してしまっています。

今回はちゃんと正面(北)からです。

まず目に入ってくるのはやはり御柱本宮一之御柱には一番太くて大きい木が選ばれます。今回は長さ約17m、直径約1.2mと。

裏はご覧の通り。

ここで一つ不思議なことに気付きます。今までの下社・春宮では、一之御柱は拝殿に対して向かって右側の手前に立っていました。しかし、本宮では拝殿の左下に一之柱があります。何故本宮だけこのようになっているのでしょうか?

諏訪七石・御沓石

一之御柱の裏にひっそりとあるのがこの御沓石おくついしです。左のミニ灯籠がかわいい

一説には諏訪明神が神馬に乗ってこの石を乗り越えたときの蹄の跡が残っているとか。

分かりにくいですが、その後ろに見えるのが「天の逆鉾」です。それについては後々。


知っているのか、雷電

古事記における建御名方神と建御雷神の力比べ伝説から、ここは相撲発祥の地ともいわれています。

境内には土俵だけではなく江戸時代最強の力士、雷電爲右エ門銅像がどっしりと構えています。なんとその勝率は9割6分だとか。

手形もありますが……さすがの大きさ。

こんなところに見慣れた文字も。


不思議がいっぱい上社本宮

ここ本宮にも農耕に関する神事の遺構が色々残っています。

五穀の種池……御頭祭にて農家の人々が種もみの浮き沈みで吉凶を占ったとされる池。

池というにはあまりにも小さいですが。

上社筒粥殿跡……春宮で紹介した筒粥神事はかつてここ本宮でも行われていました。ここがその遺構です。


天竜水舎

たとえ晴天の日でもこの屋根の穴からは必ず水が三滴落ちるので、その水で雨ごいをすると必ず雨が降るという伝承があります。

この写真からは分かりませんが、屋根には竹の管が通してあります。

手前の小さい社は井戸で、古い絵図ではここから天竜川が流れ出ている様子が描かれています。

水産関係者からの信仰が多いようです。


神楽殿の大太鼓

神楽殿には二つの大太鼓があります。

一つはかつて「日本一の牛の一枚皮太鼓」だった黒い大太鼓、そして平成22年に新たに奉納された大太鼓です。

左の太鼓は約190年間、風雨にさらされて真っ黒になっています。

新しい太鼓の音が聞ける動画がありました。


日本の祭り 諏訪大社の大太鼓

神楽殿で神楽が舞われることは無いので、この音が聞けるのは元旦だけ……。

もしかすると劣化を最小限にとどめる為なのかもしれません。

なにやらびっしりと書かれた額がありますがとても読めません。



明治以前は仏教関連の建物もあったが今は跡形もない

五間廊

昭和19年に再建された五間廊。前宮の十間廊の半分ということですね。

神長官・祢宜太夫・権祝(ごんのほうり)・擬祝(ぎのほうり)・副祝(そいのほうり)五官(ごがん)が着座したと書かれています。

これらの役職は明治時代の神道政策で無くなってしまい、秘儀なども失われてしまいました。(残っていたとしても「秘儀」なので知りえないものでしょうが……)

五間廊の隣にあるのは勅使殿。その名の通り勅使が訪れた際ここで幣帛の授受を行ったとされます。

「切妻流れ正面大唐破風造り」とありますが肝心の屋根が全く写ってないので分からないですね。

折れてしまった欅の大木。

土俵を超えるとこのような足場があります。木を伐らずに穴をあけているのがいいですね。

二之御柱の手前に見える大木は「贄掛の大欅」。神前に供える贄をここに掛けたそう。


駒形屋

ゆったりとした坂の上にあるのが「駒形屋」です。

中には銅製の黒い駒形と木製(?)の白い駒形が。

先ほどの欅の木が折れて駒形屋が押しつぶされた際、中にあったはずの駒形が外に飛び出ていて助かったという奇譚があります。


本宮の境内

ここでもう一度境内図を見てみましょう。

本宮の境内は、大きく三つに分けることができます。

神楽殿のある最下段、宝殿のある中段、そして拝殿や硯石のある上段です。

かつて下段は氏子たちによる祭事の場、中段では五官の斎場、上段は最高位の大祝だけが登れる場所だったとされています*1

そう考えると拝殿向かって右側(南)に「神体山」があり、御柱の位置の謎も見えてくるような気がします。


ただし本宮の歴史を見ると戦国時代に信長に焼かれたり、明治の廃仏毀釈で多くの建物が取り壊されたりと現在の境内とは大きく様子が変わっているので絶対にそうだとは言えませんが。

それでも今のような立派な社殿が建つよりずっと昔、まだ原初的な信仰が残っていた時代。人々が山に向かって祈りを捧げ、磐座で祭祀を行っていたと考えるのはごく自然なことにも思えます。*2

藤森栄一全集 第14巻 諏訪神社

藤森栄一全集 第14巻 諏訪神社


次回は布橋から拝殿までを詳しく見ていきます。

*1:藤森栄一『諏訪大社

*2:大祝の登場で諏訪の祭祀形態が確立した八世紀ごろ~中世・戦国の間ぐらいに参拝方向が変えられたという説

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